​20 University

20 University


​20 大学

 田所さんはときどき大学のことを思い出します。田所さんは大学に二度通いました。一度目は二十代のはじめ、普通の大学生として。二度目は三十代に今度は聴講生として通いました。どうしてそうなったかと言いますと、一度目の大学であまりにも勉強をしなかったからです。しかし聞かれたときにそう話してもなかなか信じてはもらえません。事実を伝えることは意外にむずかしいものです。簡単に言えばそうなのですが、より正確には、田所さんは大学でまったく勉強をしなかったのではありません。自分が大学でいったい何を勉強すればよいのか、それ自体がわからなかったのです。田所さんにとって、自らの生涯において、何をもっとも真剣に学ぶべきかを二十代の初めに選択することは、決して易しいことではありませんでした。彷徨のうちに大学を終え、それでも当時は好景気でしたから、電気部品の会社に就職することができました。仕事は、用途によって細かく分けられた電気部品の在庫を管理することでした。電気関連の事業が日本だけでなく世界的に拡大していくときでしたから、今度こそ毎日が勉強でした。しかも目標もよくわかっています。適正な在庫とは何か。より少ない在庫でより早く納入する方法はないか。仕事の背景には世界経済の動向、工業技術の急激な進歩改良、労働条件の変化などがひかえていて、自分が現代世界の進行に同時参加しているという実感が確かにありました。しかしこの実感も仕事の全体が見えてくるに従って、少しずつ変わっていきました。

 在庫管理は人間が行うものですが、在庫そのものはもちろん物質です。田所さんはここで、日々膨大に流通し続ける物質に向かい合う人間とはいったい何かという、きわめて素朴な疑問にいつのまにか直面していたのです。

 田所さんはこうして初めて自ら学ぶことの必要に迫られることになりました。それがふたたび大学へと向かわせるきっかけでした。しかしまず現在の生活を維持する必要がありましたので、夜間の聴講生となったのです。

 大学は小さな丘の上にあります。したがって大学も小さなものでした。この大学には門と塀がないので、丘のどこからでも上って行け、また降りて来られます。明らかに資金不足と思われるこの大学は、雨が降るといくつかの屋根から雨水が漏れて流れ落ちていましたし、食堂の机も椅子もがたぴししていて、ラーメンの汁をこぼしそうになったことが幾度もありましたが、不思議なものでそうしたことに田所さんは却って愛着を感じているのでした。

 久しぶりの大学はなにもかもが新鮮でした。その中で今もはっきりとおぼえている光景があります。それはまだ四月まもないころ、書類を届けに休暇を取って昼のうちに大学の丘を上がって行くと、人だかりがしていてざわめきが聞こえてきます。近づいてみると、眼下の運動場で今まさに巨大な熱気球が空中へと上がろうとするところでした。気球ははなやかに彩色され、バーナーの音がごうごうとあたり一面に響いていました。しかしその光景は、学生たちの興奮の中にありながらどこかでしんと静まり返っていました。短い時の経過とともにかつての喧騒は去っていて、大学は変わり時代も変わりました。感傷から少し距離を置けば、アメリカでこの時代を生きた女性が、私たちはまとまったお金をばらばらのルース・チェインジつまり小銭に替えていたのかもしれないと冷静に述べていたことを、田所さんは思い出していました。田所さんがかつて大学で学んだことはいくばくかの外国語の初級だけでした。それもただ自分でテキストを読み、練習問題に答えるだけでした。語学を卑下しているのではなく逆に、それのみがかろうじて着実な進展感を与えてくれたのでした。質的な意味も含めれば膨大な時間であったその時代は、確かにルースなチェインジであったのかもしれません。